TOMOSTA

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要約力を磨く

その物事の本質について理解している場合、Aという物事をコンパクト化した重点がまとめられたA´を作り出すことができる。

つまり、全体的な話の内容=文字数の総和についてまとめると、総和の中にある修飾語を省いた相手の思考の全体像が最小の値で理解できるということである。

相手が伝えたい内容の意図としては、新しい製品開発における賛否の意見の収集、○○という事実の伝達及びそれについての感想など、相手側が返して欲しいアンサーが用意されている訳である。

ただ、この要約力を磨きすぎると、かえって、美文字といわれる、文章における強弱の少ない素朴な文、会話の尺を好むようになる危険性がある。

例えば、読書する本の選別にあたり、最大限の要約力を好むようになると詩的な文章の作品しか心が受け入れなくなり、長文=悪筆といった誤った考え方を生み出しかねない。

ただ、満遍なく読書して一つの知識の結晶を作るとすると、詩的な文章だけでは専門的な知識性の欠けた紆余曲折な美に惑わされてしまい、知識の幅が窄められてしまう。

目の前の綺麗な池の中に金平糖のように色鮮やかな鯉が泳ぎ回り、その背景には薙ぎ倒された自然が横たわっていたとし、その両方を組み合わせたら、それは美でも愚でも中立でもない背徳感の塊でしかない。

ので、どんな物事にもバランスは必要であり、要約力も例外ではない。

組み立てるための本数や、芸術における線の本数が少なければ少ないほど空間の作用により見栄えはいいが、シンプルさ故の思考の粗さというのはわかる人間にはわかる。

偶々、一枚の絵に真摯に向き合う時間が少なく、それを芸術と呼ぶのなら、彼、彼女自身における人間味のブランドという評価が価値として表されただけである。