TOMOSTA

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努力の認知の仕方について

 

努力とは、それ単体では単位というのは与えられておらず、目標を達成させるためのナッシングからの起立として用いられている。

そもそも努力とは、目標達成における過程のアクション、実績を積み上げるための発破、ベクトルとして扱われており、

 

目標を掲げて、そこに到達するために邁進すること、つまりはベクトルでもあり、その過程の時々で要求され、クレープの層のように積み重なった時に初めて数として認知される。

頑張っているのに報われないという言葉があり、よく励ましとして間違った方法で努力をしているから成果にならなかっただけというが、その励ましは55%程度の回答に過ぎない。

結局のところ、考え方が甘かった、つめが甘かったというような初期段階、性格、思考のレベルまで深く掘り下げていかなければいけなかったと教えてあげるのが適当と言える。

勉強も、最初に生徒たちに記憶の仕方、暗記におけるプロセスを簡単な文章で構成された教科書で説明してあげれば、国民全体の学力というのは満遍なく向上したはずである。

努力とは何かという共通認識の齟齬により生じる差の中には、思考、健康、記憶、スケジュール管理、論理、生体、人間、動物的本能というように有数の要素によって構成され、その具合によって評価値というのは変動してくる。

また、努力について難しく考える必要はないという人も稀にいるが、少なくとも何かを続けていく上でそれについての問いを深く考えなければならない場面というのは必ず訪れる。