自分の目で確かめずに情報を鵜呑みにしてしまうと
偏った常識への危惧については散々書いてきたが、情報を鵜呑みにするとどういった危険が伴うのか要点だけかいつまんで説明したいと思う。
私たちの日々の情報は、ニュース、新聞、SNS、互いのコミュニケーション、本、論文、たくさんの情報が混ざり合って、純度の高い情報を信頼し、それを知識として身につけていく。
ただ、多忙な状況に置かれてしまうと、なるべくコンパクトな情報を好むようになり、その情報のレベルは考えず、暗記だけに焦点が当たってしまう。
ブログ、SNSにしろ、記事には尺というのがあり、大切な情報を抽象的に表現し、その記事の尺を調整している場合が多い。
SNSどうオーディエンスにアプローチするのか、記事の書き方以前にブログを書くために必要な語彙力を磨くための実際の行動だとか、一つの手間は省かれており、実際、インターネットで検索する際は、ピッタリした検索ワードに当てはまった記事しか参照できない仕様になっている。
詳細の限界はそこまでで、臨界点である錯覚し、それを自身の知識量と混合させて、新たなバイアスを作っていく。
その段階で、確立した詳細な知識になれば良いが、恐らく、難しい。
あと、情報を鵜呑みにしてしまうと、無知の人に説法される危険にも遭遇しかねない。
その人の中にある適当な断言された知識で、あたかも客観的に信頼されているような言い分で心理的に迫ってくる“愚“。
その一挙手一投足が言語的に理解できる人なら良いが、その人の言っている内容が絶対的な知識量で納得できない限りは難しい。
今回は、情報を鵜呑みにしてしまう危険性について紹介させてもらったが、環境にしろ、人にしろ、審美眼というのを培ってもらいと思う。
美しさというのには一切不純物が混ざっておらず、それだけで自然的な優雅さが備わっているはずだから。