TOMOSTA

こちらのブログでは主に勉強に関するテーマを取り扱っています。フリースクール提携も可能ですので、お気軽にご相談下さい。

セルフプロデュースする力を身につける

与えられた課題を淡々とやりこなすことは重要だが、それだけでは偶然のアクシデントに見舞われた際に適切に対処できなくなってしまう可能性がある。

また、人には向き不向きがはっきりと分かれており、水泳がすごく苦手、体が硬い子に強制的な指導をするというのは間違いであり、苦手なら、その子に合ったダンス、習字といった別のジャンルで開花できるように指導するのが普通である。

私たちには、どうしてもできないことがあると思うが、一般的に多数の人ができている作業ならあなたも当然できるでしょという押し付けが後を絶たない。

そのためには、少数派の意見として確立し、個性としてセルフプロデュースしていく他ない。

自分の強みというのは、過去を振り返れば、一つや二つ容易に見つけることができる。

ただ、あなたが無意識の内にこなせているだけであって、それを誇り、尊敬に値する能力だと主観的な判断で決定してしまっているからに過ぎない。

何か小さな賞だったとしても、ほんの些細な気づきにしろ、どう活用していくかはあなたのセルフプロデュース力にかかっている。

物事の重大性に気がつけるかどうかが肝心

現代社会は、将来の予測が全く不可能なため、常に不安、恐怖と隣り合わせの状態である。

ノストラダムスの大予言的な吹聴めいた話ではないが、地球全体でのウィルス感染が拡大する中、仮に治療薬の普及、研究が間に合わない時代に突入したら、大惨事はま逃れない。

こうした暗黒的な“何か“に直面する可能性はあるが、その時代を特定することは難しく、常にその暗闇に包まれることを意識し暮らしていては大変である。

私たちは世の中の政治やニュースなどから与えられた不安、恐怖を過剰に恐れず、広狭なコミュニティ内で幸せで豊かに暮らすのが一番である。

それが難しいから苦労している方達が多いのが実情だが、気持ち的に生き苦しくなっている根源というのは自分で分かっているはずであり、何かしらの対策はあるはずである。

それは環境、家庭環境などのせいではなく、生きるための教養というのが十分に身についておらず、本当に助けが必要な時に勇気を出して声を上げられない、上げることもできないほどに非力になっているからである。

私たちは学校でこうした社会問題の解決、お金のやりくりの仕方、会社経営の仕組みといった教育よりも大切な生きるためのスキルというのを学ぶ機会を十分に与えられておらず、自力で何とかして、危機的状況を脱するように指導されてきた。

それは自己向上心の一環として統合されているが、全く可笑しな話である。

話を簡潔にまとめると、世の中の不安、恐怖を受け入れ、過剰に反応しない力を磨き(思考は必須)それを共有することが大切であると伝えたい。

個人の考え方を尊重し合えるようにする

考え方には、主観的、客観的、中立的な立場から議論を積み重ねていって、科学的な根拠に基づく結果、際限のない質問の解いに決着をつけるといったように、多角的な視点から考え方の確固たる結晶を作り出していく。

その結晶の中の性質は、柔らかく、滑らかで、清らかなる、不純物が一切混ざらない美のようなもので、多方面から独立した最良の問いと言える。

私たちはそれぞれ持ち合わせているその結晶というのを享受し合い、互いの脳というのを刺激し、心を共有し、思いを繋いでいる。

ただ、互いの考え方を尊重する中で、いくつかあるが、一つだけ例を挙げて、注意喚起したい点がある。

それは、あなたの憧れるヒトが持っている特性というのに強く惹かれないようにすることである。

特性というのは特技にも言い換えられるが、これを深く崇拝し、自分の心と合致させて理解したつもりになってしまうと、人生で思わぬ方向に進んでしまう原因になってしまう。

また、彼らの考え方があまりにも希薄で、偏った遊楽にひたむきだったに過ぎなかった場合、それに気が付き、目を覚ました際に自分の滑稽さに思わず肩を落とす。

全治全能に神に憧れて、有限における知り得る事象は限られているということに気がついた時のようなあの感覚である。

そうならないためにも、崇高は時に切り離し、一個人の考え方と捉え直し、改めて考え方と向き合うと良いだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自尊心を守る

 

私たちの精神・肉体というのは脆く、壊れやすい性質を持っている。

無我夢中になって追いかけていた夢があったが、自分の心が弱かったせいで、周りの意見や嘲笑に押し負かされてしまい、自信喪失してしまう。

そういった輩は、自身のストレスを他人にぶつけたらそれで満足し、あなたの前から咄嗟に消えていく。

相手にされて嫌なことを自分がしたのにも関わらず。

そういった輩に一度心を折られてしまえば、直ぐに立ち直るのは困難である。

そのためには人間関係は自分が心から信用できる人のみと付き合ったり、正しい環境に身を置かなければならない。

また、人を見る目を養い、その人が普段使っている言葉に美学を感じるかどうか見極めると良い。

内面的な上品さを磨くというのは、そう意味も含まれている。

競争社会から共生の社会へ



常に、私たちは何かしらの競争に巻き込まれながら暮らしています。

学業や仕事にしろ、身近には必ずといっていいほど、ライバルが存在し、そのライバルと順位を競い合う...

確かに、賞レース、スポーツにおける世界大会などで競技として競い合うのは良いですが、それ以外の人生においては競争よりも共生を選択した方が賢いと思います。

ので、今回はこちらの「共生社会から共生の社会へ」の実現に向けて、少しでも読者の方に理解していただければ幸いです。

 

競争社会がNGな理由について

 

競争そのものが悪い訳ではありません。

互いに切磋琢磨し合いながら自己成長を推し進めていくためには必要不可欠だと思います。

ただ、競争において、互いに良識や思いやりがないと、一方的に傷付いてしまう人も出てきてしまいます。

私たちはどこかで努力をすれば何とか実ると思い込んでいますが、そこには運という要素が含まれない限り、どうすることもできません。

競争は競争として捉え、それ以外ではそういった観点ではなく、ヒトとして互いの欠点を補い合いながら共生し合って生きていく。

思いやりというのは、自己や自分の周りの環境にだけ目を向けることだけではなく、全体的に満遍なくヒトを慕うということだと思います。

 

少しでも心に余裕を持つ

 

共生社会が実現できないのは、何も私たちだけの責任ではありません。

全体的な経済的困窮が続いている中、自身の家族を養っていくためには多忙になり、周りが見えなくなってしまうのは良く分かります。

ただ、少し考え方を変えるだけで、心に余裕を持って生活を送ることはできます。

何も贅沢に暮らすだけが正しいとは限りません。

家族同士で笑顔の絶えない家庭なら小さな不便でさえも乗り越えられ、生きている間、ずっと幸せだと思います。

こういった考え方は、倫理・哲学といったジャンルの本から教養を身につけると良いです。

 

小さなコミュニティを作る

 

小さなコミュニティというのは、言わば、地域の商店街のようなもの。

そのコミュニティの人たち同士で、自給自足、商売、知恵の共有が行えれば、十分な生活は送れる。

都心にこだわる必要性は全くない。

今では、コミュニティを作る、参加するにしろ、SNSを通じたり、ジモティーを活用するだけで簡単に行うことができるので、自由に参加するのが好ましい。

書いたら何かの輪郭が見えてくる

 

最近は、デジタルデバイスの普及で基本的な生活管理をパソコン、スマホにデータを留めて管理している人が多いと思う。

デジタル派、アナログ派は両派のメリット・デメリットを互いに補完し合えば良いだけの話なのでここではしないが、紙に書いて考えるという習慣を身につけていないと、日々の不安、悩み、後悔、雑念、葛藤、自己嫌悪、他者意識といった重圧に押しつぶされて、精神・身体的にコントロールし切れなくなってしまいます。

 

とにかく紙に書き出して思考整理する

 

頭の中の思考が色々なことで煩雑になっていると、結局、どれから処理していくのか優先順位が付けられず、時間内におけるタスク量の想定がうまくいかず手付かず状態になってしまう...

そのために、まずは部屋の掃除や整理整頓と同じように、とにかく紙に考えていた内容を書き出し、思考整理を行い、それらに優先順位をつけて、タスクとして処理していく。

紙に書き出すことができれば、頭の中で何を考えていたのか一目瞭然である。

 

考えることがないのは危険信号

 

大抵の不安や悩みは、既に誰かが解決している。

そのため、私たちは危機に直面しても、先人たちの解決方法を利用するだけで簡単に問題が解消できると思い込んでいる。

つまり、一旦自分で解決策を編み出すのを放棄し、近道して完成した情報を手に入れようとする。

常にスマホ、パソコンを活用し、分からないことがあれば、考える前に調べる...

時々、デジタルデバイスを活用する程度なら構わないが、それが習慣化されてしまうと、思考に対する重要性が分からなくなり、デジタルデバイスに脳を預けることになってしまう。

また、思考する習慣が身についていないと、自分の意見を言わなければいけない場面で硬直、自信がなくなってしまったりといった弊害も発生するので、この機会に改善すると良い。

 

考えのスタートとゴールを明確にする

 

もう一つの上の考えに昇華するためには、スタートとゴールを明確にすることが大切である。

考えという迷路があったとして、スタートとゴールの位置が分かれば、複雑に入り組んだ経路を適切に進むだけで問題解決することができる。

その際、難しく考え過ぎたり、過度に甘やかさずに、バランス良く考えるのが効果的である。

思考の迷路は複雑に入り組んで見えるだけで、大抵は簡易な経路の組み合わせに過ぎない。

実生活における知恵をより濃くする

私たちは今の教育制度について、本来なら最違和感を感じていなければいけない。

戦後、日本の学校教育法が制定され、今に至るまで変化した点と言えば、IT化が進んだことによるPC授業の追加程度である。

また、学校での個人が集団に馴染めないことで、風変わりの扱いを受け、居場所を無くし追い出されてしまうのは多々あるし、集合における排他的な考え方は未だ健在である。

学校の授業がつまらないと思う生徒がいるのは当然で、本来ならもう少し遊び心を取り入れた社会学習を推進していくべきである。

もう歴史は大きく変わっているのを強く受け入れる覚悟がないと、お先真っ暗である。

このような考え方まで昇華できるように、学びにおける基準を押し上げるのが今回の狙いである。

そのためには、実生活のレベルを底上げする必要がある。

つまり、現状の実生活レベルの内容で満足してしまうと、それ以上に知恵を手に入れる必要性は微塵も感じられなくなってしまう。

貧困という大きな問題に直面している人達が、その環境からはどうしても抜け出すことができないと思ってしまったら、その場しのぎの生き方を受け入れなければいけなくなる。

しかし、その人たちが健康になり、正しいお金の稼ぎ方、人の愛し方、家族との繋がりといった知恵を身につけたら、その問題を少しでも減らすことはできないだろうか。

実生活のレベルは理想でも良いので、なるべく華やかな知識の交流を想定すると知恵のレベルが高まると思う。

 

 

 

 

勉強に大切なのは「なぜ?」という疑問を解き明かすこと

「なぜ?」をとことん突き詰めて、問題解決する

 

物事を理解するためには、適切な回数なぜ?という質問を投げかけなければいけない。

なぜ、その問題がその時に解けなかったのか、それを深掘りしていくと、基礎を理解していなかったり、現段階で、応用問題に取り組むのはナンセンスだったことが分かる。

また、なぜを繰り返していけば、その物事の本質に辿り着けるが、一つの視点でしか見えていない危険性があるので注意が必要である。

なぜを繰り返す際には、多角的な視点から、自分、相手、職業、職位といった点から過不足なく知識を吸収していくと良いだろう。

知識のレベルにおいては、短答問題形式ではなく、そのテーマにおいて自分の力で論文が書けるレベルまで深く掘り下げられば上出来である。

 

漢字の生い立ちから考える

 

私たちはあまりにも便利な日常に慣れすぎてしまい、歴史的な生い立ちを軽視しがちである。

そもそも、語源には起源、漢字には生い立ちというのが存在しており、深くまでとは言わないが、ある程度の理解が必要となる。

漢字は元々、絵であったもの形が変わったものであり、例えば、花は草が化けるといった植物の変化を表現した漢字というように必ず意味がある。

なぜを繰り返して深く深く掘り下げていけば、自然と歴史につき当たるので、それを理解するのが良いだろう。

 

 

 

 

 

 

 

健康維持に欠かせないカロテノイドとは?

カロテノイドとは?

カロテノイドは、抗酸化作用を持ち、体内に過剰に発生した活性酸素を除外する働きを持つ。

外部要因などによって活性化酸素が多く生成されると、抗酸化防御機能のバランスが崩れ、老化、疲労生活習慣病を引き起こす、それを強い抗酸化作用で防ぐのが役割。

 

活性化酸素を増やす主な原因

活性化酸素が増やす主な原因は、紫外線、大気汚染、化学物質、電磁波、農薬、様々な環境因子、不規則な生活習慣である。

ただ、私たちの生活はこれらの環境から一切切り離して考えることはできないので、食生活、規則的な生活習慣を取り入れることによって減少させる必要がある。

 

カロテノイドを多く含む食品について

カロテノイドを多く含む食品は、緑黄野菜、スイカ、トマト、赤唐辛子、えび、かになどの甲殻類、卵黄などが挙げられる。

これらの食品を満遍なく食生活で摂取できると良い。

 

カロテノイドは二種類に大別される

カロテノイドは、カロテン類(βカロテン、aカロテン、リコピン)、キサントフィル類(ルティん、ゼアキサンチン)の二種類に大別される。

これらが皮膚、粘膜などの細胞の正常化をおこなったり、成長の促進、生命維持、生殖機能の維持、抗酸化作用といった効果を手助けしてくれる。

教科書のトラップを見破るための方法

 

義務教育課程における公立学校で使用される教科書は、その市町村、都道府県における教育委員会が決定し、最終的にはその学校の校長が教科書採択の権限を握る。

出版元には、東書、三省堂、教出などがあり、その出版元が発行している教科書を選択するという訳である。

種類は一応限られているが、出版されている教科書が多いため、優秀な学校ほど学習水準の高い教科書を選択し、あまり学業成績が振るわない学校は易しめの内容の教科書を選択することだろう。

もうこの時点で、優秀な学校とそうでない学校のスタートラインが変わっているのは容易に察しがつく。

教科書には満点マジックが存在し、暗記項目を中心に構成された教科書だと、比較的学校のテスト内容が簡単なため満点を取りやすく、いざ、受験になると丸っ切り対応ができない暗記だと気づくことになる。(そうならないためには、どの程度のレベルの教科書を取り扱っているのか他の学校と比べ、高い水準に合わせられると良い)

最悪それに全く気がつかないでいると、その学校ではエリートな生徒でも全国模試では全く歯が立たないといった生徒がうまれる。

ので、普段学習で使用している教科書は暗記中心で構成されているものでなく、しっかりと解説が載っている教科書を選ぶ。

もしそれが難しい場合はその教科書のレベルを引き上げる参考書、問題集を活用するとそのギャップを補完することができる。

これは義務教育における公平のマジックなので、本当に気をつけた方が良い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダンゴムシが丸くなる理由について

ダンゴムシは昆虫ではなく、カニやエビの仲間で甲殻類に分類される。

また、昼間はコンクリート、枯葉の下など湿ったところに生息しており、夜になると活発に行動するようになる。

ダンゴムシは頭、胸、お腹とたくさんの節でできており、14の体節が連なった作りとなっている。

で、肝心のダンゴムシが丸くなる理由だが、カエル、小鳥といった外敵から身を守るためである。

体を丸めている時間は、外敵が攻撃を止める時まで。

 

 

交通管制センターとは何か?

交通管制センターとは?

交通管制センターとは、道路交通に関する情報収集・分析・提供を行い、交通渋滞解消のための信号機調整を行なっている施設である。

現在は、新交通管理システム「UTMS」を導入しており、より高度な管理で車両がスムーズに通えるようになっている。

交通管制センターで管理している情報はラジオ、カーナビ、インターネットに提供され、交通渋滞をいつでも確認できるような仕組みになっている。

もし仮に、この交通管制センターのシステムが上手く機能していなかったら、車両における物流が停滞し、経済的な大きな損失が発生してしまう。

あまり日常において意識する情報ではないと思うが、知っておいて損はないと思う雑学なので一応発信しておきます。

青い鳥症候群とは何か?

青い鳥症候群とは何か?

青い鳥症候群とは、美味しい物を食べた時、家族団欒で楽しく過ごしている時、お風呂にゆっくりと浸かっている時といった身近な幸福に気がつかず、より幸せな何か、より高い理想を追い求めてしまう心理状態を指す。

語源であるメーテルリンクの童話『青い鳥』は、物語の主人公であるチルチルとミチルが幸せの青い鳥を探し求めて冒険する物語。

現状を直視できず、高い理想を求めて安直に転々する自己同一性拡散状態を揶揄した表現である。

 

青い鳥症候群に罹らないようにするためには?

まずは、世の中における不安・理不尽さ・焦燥感といったネガティブな原因を受け入れることが大切である。

昭和世代で当たり前だった出来事は令和では全く通用しない、世代におけるギャップは少なくともあるというのも自覚する必要がある。

現状起きている出来事は全く偶然ではないというのを自己、客観的に認識し、理想との値がかけ離れていたらそのギャップも理解し、目標の規模があまりにも大き過ぎないかというようにコントロールできるようにする。

また、目標は定期的にメンテナンスを加え、万全な状態でのぞんだ際に正しい結果が反映されるか具体的なイメージまで作れるようにしておく。